夏休みギラギラ太陽日記 ~ 34日目(遠野之抄 参日目)
かなり疲れてる。
4:00
起床。昨晩洗濯機があったから回して干しておいた服がまだ乾いていないが、他に着るものもないのでそのまま着る。寒い……。
6:31
続石・泣石。至るまでの道が一応遊歩道になっているけど完全に山道だった。入口に「熊注意」との看板があり「鈴を鳴らしたりラジオをつけたりしながら歩くなど十分注意を払ってください」とのことだが、生憎鈴もラジオも持っていないから、仕方なく自転車を押してそのベルを鳴らしながら登った。自転車で通る道ではない。
続石の方では、石の裂け目に賽銭が挟んであった。なかなか変わった趣向だ。
続石・泣石のすぐ下に弁慶の昼寝処とかいうちょっと開けた場所があったが、よくこんなところで寝られるな……。
6:44
さらに坂を登って千葉家の曲り家へ。しかし、入園料が必要なのだがまだ窓口が開いていない。そりゃそうだ。仕方ないので外から写真を撮ってその場を後にする。
7:41
鱒沢駅の横を通って自転車道を走っている途中。隣に大きく猿ヶ石川が流れており、良い景色で気持ち良い。途中、川の中の石に大きな大根が引っかかっている。
8:00
さんさろ というところに到達。売店があるので朝ご飯を買おうと思ったが、まだ開いてない…。
どうも自転車に蜘蛛が同乗しているらしく、15秒か20秒おきに腕のどこかに糸がまとわりついてきて鬱陶しい。
8:25
ようやく下り坂に。道で蛇が自分に噛みついて死んでおり、ちょうどそれを見つけた大きなアリが蛇の身体から肉片を切りとっているところを眺めていると、道路をリスが横断してきた。ちゃんと左右確認してから渡っていてえらい。
9:12
砥森神社。
その裏手に戦没者慰霊の碑と祠。お参りに来ていたおばあさんがいて、20分か30分ほどおしゃべりした……のだが、話しておられる言葉の8割くらいが聞き取れないか、聞こえてもどういう意味か分からなかった。とりあえず一人称はオレだった。分かった範囲の話をまとめると、
- 自分の若い頃、近所の知り合いの父親たちはみな戦争へ行った。そのうちの一人がここに祀られている。
- 戦争はやっちゃイカン
- 息子夫婦が少し前に大きな家を上に作ったのだが、ちょっと前の台風でやられてしまい、仕方ないのでちょっと下に部屋を4つほどくっつけたような家を建てて暮らしている(ちょうどここに来る前にそこを通った)。
- 自分が通っていた小学校は今は幼稚園になっている。朝、バス停まで孫を送って行く。高校生はみな釜石まで行っている。
ただ、日本語だというのは分かった。外国語のような完全な別の言語感は感じなかった。
慰霊碑のもう少し裏手に行くと砥森神社境内の五輪の塔という石を重ねた小さな塔があった。もともと5つ重ねてあったらしいのだが、昭和のどこかで頂上の石が失なわれたらしく、現在積まれている石は4つだった。
9:47
めがね橋。こーはい君に頼まれて『咲』の宮守女子縁の地も巡っている。しばらく写真を撮ったあと、横にあったショッビングモールで朝ご飯のおにぎりを買う。味噌焼きおにぎり2つで200円。
10:01
宮守駅に到着。駅の外のベンチに若干オタクっぽい雰囲気を醸し出している人が座っていて、僕がiPhoneで『咲』の写真を見ながら駅の写真を撮ろうとするとどいてくれた。撮った後、礼を言うと、「咲ですよね? あのアングルは咲しかない」とか言われておもしろかった。
ここからどういう経路で駅まで帰ろうかしばらく思案する。北の稲荷穴というところまで行きたいが、車で30分くらいかかり、しかもずっと上り坂な気がしたので今回は諦めることにする。穴の横にあるそば屋がめちゃくちゃおいしいらしいので、次に来たときにレンタカーで行こうと思う。
10:20
岩手県立遠野高等学校情報ビジネス校。咲の宮守女子のモデル校、らしい。
グラウンドに草が生い茂っていて、廃校感が強かった。
11:24
坂道で両脚が死ぬ。とりあえず サンQふる郷市場 とかいうのとこで食事が出来るらしいのでそこを目指す。かなりエネルギーが尽きてきたので、山男or天狗用に一日目から鞄に入れて取っておいたポッキーを遂に開封する。ここらではミンミンゼミが鳴いている。
11:55
サンQふる郷市場に到着。名物らしい馬力ラーメンを食べる。ここらの生活は馬との結びつきが非常に強そうで、店の壁に貼ってある新聞等にも、だれそれの馬がなになにの大会で優勝、などの記事が多い。
12:??
ひたすら上り坂。(遠野駅から)自転車で来るところではない。一応自転車ロードの内部ではあるが、それはおそらく体力作りに励む未来ある自転車BOYsのなすことであろう。僕は四畳半神話体系の8話だか9話だかの自転車部所属ではない。
13:10
やっとのこと峠を超えた……。遠野街道という道を通っているわけだが、小峠トンネルという長さ1kmほどのトンネルがあり、遠野街道を北から来た場合はトンネルを抜けるまでがずっと上り坂である。ここまで来ると疲労がMAX値を振り切ってしまい、自転車は漕ぐと進むのだなぁ…、などと思っていた。
14:00
卯子酉様。話では、赤い布に恋の願いを書き、左手のみを使って神社の木にその布をくくりつけることが出来るとその願いが叶うらしい。僕も願いを書きちゃんと左手だけで結んできた。
14:32
伊勢両宮神社。ここまで来ると、もう遠野市街である。遠野三社の一つらしいのだが、観光地図には載っていなかった。
疲労の蓄積による信仰心の欠如が表れてくる。
14:54
遠野城下町資料館。ここ一帯が城下町っぽい建物による町並みになっていて、そのうちの一つ。しかし展示されている内容は少なく、あまり行かなくてもよかったかな…という感じ。
15:??
昨日まで泊まっていた徳田屋旅館へ荷物を受け取りに行く。女将さんが本当に親切な方で、何かしてあげたいから荷物を預かっといてあげますと言ってくれて、リュックを保管しておいてくれた。感謝。
15:??
その足で駅前の旅の蔵へ。自転車のレンタルを明日の朝までにしていたのを今日の夕方のこの時点までにしてもらう。返金してもらえるかな…と思ったら返金してくれた。わーい。
~16:36
駅前のバス停で早池峰方面へ行くバスを待つ。ふぅと息を吐きながら座っていると、地元の60歳くらいのおじいさんがこんにちは~、どこを行ってきたんですか~と話しかけてきた。しばらくしゃべる。朝のおばあさんと違って、今回はおっしゃっている言葉がだいたい9割くらい分かる。話の内容を箇条書きにすると、
- 宮守の更に北東らへんに今から帰るところ。
- 僕がサンQふる郷市場の名前を出すと、ちょうどそこの隣に住んでいるらしい。そこの市場は自分が直売しているところ。
- 若い頃は歩くのがええ
- 自分も25~36の頃海外を歩き回った。なんとかいう仕事で一日2~3万円の給料がもらえるからそれを何ヶ月か続け、金が溜まったらどこかへ行くという生活だったらしい。
- 一番面白かったのは、ウガンダでサイに追いかけられたこと。
- 今は農家をやっている。
- たまに、外国で知りあった人が農家体験をしに来ることがあるらしい。
- 今でもたまに、馬を引いて山を超えることがある。
- 寺沢高原は今は半観光地のようだが、昔はそこらに住んでいる人達の共同の馬の放牧場だった。
- 自分の祖先は遠野~花巻間を山を超えて、荷物を運ぶ仕事をやっていた。
- 当時(江戸時代)はかなり苦しい生活らしく、納めるべき年貢に足りないためそういう仕事をしていたらしい。
- そのおかげか、今の自分はかなり遊びながら農家をやっているが楽に暮らせている。
- 生きるのに一番大切なものは信念だ。その他はあまり重要でない。
- 飯を食って自分の好きなことをしてると、まぁ普通に元気に生きられる。
- 前に胃癌が見つかり余命3年だと宣告されたが、それから10年は生きている。
- 最近はあまり聞かないけれど、昔の若者は夜這いをよくやっていた。たまには夜這いでもしてみな、とのこと。
- 石上山が登るのに最適だ。
だいたいこのような事を話してくれた。こちらも出身やら行ったとこやらを話していて、今から早池峰神社へ行こうと思うが、遠野~早池峰間を結ぶバスはこれで最後だから泊まるところが無いとやばいですよね、ということを話すとめっちゃ笑われた。まぁ、遠野で行方不明者は聞かないからたぶん大丈夫じゃないか、とのこと。最初、よっしゃじゃあウチに泊めたるわ!とおっしゃってくれたが、神社のお祭りが19:00~だから、それが終わってからそちらに行く手段が無いと思います、ありがとうございます、と断わった。
16:36
バスが来たので礼を言ってバスに乗り込む。去る間際、別のバスを待っているであろう女子高生2人に「あの兄ちゃん、遠いところから来たんやて」と話しかけているのが聞こえた。
17:00
座れたことで疲れが一気に来て眠くなったのでしばし寝る。目的地の大出(早池峰神社前のバス停の名前)まではまだ20分ほどあるし大丈夫だろう。
17:24
到着。十分ほど寝ていたらしい。遠野駅から同じバスに乗っていたおばさん3人組もこの宿だった。バス停は本当に神社のすぐ前で、なぜ大出というのかは不明なままだった。誰かに訊けばよかったかもしれぬ。
17:36
バス停が民宿わらべの真横だったので、部屋が空いていないか訊く。またここでも親切な宿の夫婦で、最初部屋が全て予約で埋まっていたのだけれど、近くにもう一個ある宿に電話で訊いてそこも埋まっていることが分かると、僕が朝に帰るのならばと9/9の昼に来る人のために空けていた部屋を貸してくれることに。最初埋まっていると訊いたときにもう諦めて神社で寝泊まりする気だったから本当に感謝。
17:45
近くに何もご飯を買えるような場所はないとのことだったので、さてどうしようか……と鞄を整理していると、コミケの際、東京でたまたま電気屋の横を通ったときにiPhoneを見せるともらえたカップ焼きそばが出てくる。運がいいなぁ、と思っていると上述のおばさんsの一人がこれ食べんさい、と大きなさつまいもの天麩羅と大根やらきゅうりの漬物を持ってきてくれた。ありがたや。さらに宿の奥さんがおにぎりを2つ握ってくれた。ありがたや…。
18:10
ここに泊まりに来ていた別のグループと部屋の前で会う。初老の男性1人とその息子or娘夫婦みたいな2人の3人組。出身がどこかは聞きそびれたが、なんでも遠野には5年ほど通っているらしく、毎回この宿に泊まっているらしい。京都から来たということからこれまでの経緯などを簡単に話す。途中で綺麗な京都弁ですねぇと言われたので、どちらかというと関西弁を喋っていて、京都弁からはいくらか離れていると思うのだが、と言った。昔おじいさんの方が自衛官を舞鶴でやっていて、そのときに車を買ったから車が京都ナンバーらしい。
18:15
お風呂を借りる。両腕が焼けていて、湯につけられない……。
19:00~
早池峰神社に向かう。到着するとちょうど始まるところだった。綺麗な満月である。
祭パート
祭は最初に神への挨拶儀式、第一幕、第二幕で構成されていた。
まず、境内から拝殿に向かって宮司の一人が法螺貝を吹きながら歩き、その後ろを皆がぞろぞろとついていく。ただしこれは参加者が皆やるわけではないらしく、先に神社に来ていた人達の多くは用意されていた椅子に座っていた。
拝殿奥から本殿に向かってシュツバク?というのを行う。祭の最初に行う、神への挨拶のようなものであると思われる。一同低頭。それが終わると清めの祓いで再び低頭。
そのあとケンセン?というのを行い、それが終わると宮司が祝詞を上げる。祝詞が終わると早池峰神社を守る会副会長と後に行われる演奏の演奏者代表とが玉串を奉る。
その後テッセン?というのを行い、最初の儀式は終了。
ここからが祭第一幕。
第一幕では境内にライトが当てられ、舞が奉納される。舞は、ししの座・虎の座・天女の座で構成される。
ししの座はしし(鹿)と天女が舞う。
虎の座の迫力がすごく良かった。打ちならされる太鼓の音色に合わせ、二人一組でとらが舞う。時には近くの子供の前まで頭を振りながら近づき、爛々とした目で周りを睨みつけていた。
天女の座では、最初に登場した天女が今度は一人で登場し、舞っていた。
第二幕では、場所を拝殿内に変えていくつかの演奏が行われた。まず、Cosmys という音楽グループが、自分たちの曲やこの観月祭のために作ってきた曲などを披露した。メンバーは3人で、一人が女性でボーカル、一人が男性でパーカッション、もう一人が男性でギターor尺八だった。聴きながら、あー僕もはやく遠野用の曲を作りたいなぁ、などと思う。それが終わると今度は神社の宮司たちによる雅楽の演奏。越天楽などわりと知っている曲が演奏された。その後、演奏者全員でもう一度越天楽のなんとかいうのを演奏し、祭が終了した。
神社は、ペットボトルの下半分を切ったようなものの中に火をつけた蝋燭を立てて照明とした灯りがそこら中に置いてあり、なかなか幻想的な雰囲気だった。だいたい周辺の人達が皆集ってきているようで、暗い中ではあったものの顔を見ただけでお互い誰と分かる感じで「いや~どうもお疲れさんです」的な会話がそこら中で繰り広げられていた。
よくよく話を聴いていると、どうもこの観月祭は第一回目らしく、記念すべき第一回にその場にいあわせたのはかなり感動的である。
神社から民宿へ帰る途中、参道に立っている木々の元になぜかかぐや姫のストーリーを分け分けにして書いた板が置いてあった。何故かぐや姫だったのかは謎である。
天気が非常に良く、月を観る祭が見事な満月だったのが良かった。
21:30
感動しながら宿に帰り、外の自販機でペットボトルを買って飲む。本を持ってきて布団に寝転びながら読んでいたが、疲れがどっと来たので電気を点けたまま寝落ちる。
深夜パート
22時かそこら(時計を見ていなかったので正確な時刻は不明)
京都ナンバーの車を所有する方たちとしゃべった部屋から床の軋む大きな音が聞こえて目が覚める。が、すぐに寝る。
0:??
なんか起きる。足元に何かが立っており、僕の右側へサッと移動する。その際、右足にそいつの足が当たり完全に目が覚める。そいつはそのまま僕の頭の方に来て、顔の前で手をひらひらと振ってくる。僕の記憶が正しければ、女の子の声で「起きてー」と言われた。わりと怖かったのでそれまで動けなかったのだが、とりあえず上体を置こそうとして左腕が脇に置いていたペットボトルに当たってしまう。わりと勢いよく倒してしまい、ペコンと音がしたのに驚いたのかそいつはスッと消えた。寝たふりをして薄目で見ていたのだが、顔は怖くて見れなかった。ふぇえ~と思いながらも疲れからか再び眠りに落ちる。なんとか電気は消した。もしかしたら電気が点いてるのを消すように言いに来たのかもしれない。
2:30
夢の中で小学校のときの同級生(女の子)の裸を見ていてふっと目が覚めたので、それをメモしようとTwitterの投稿画面を開く。ちょうどその時またしても障子の向こうからガタっと大きな音がしたのでふぇえと思って仰向けになって寝たふりをする。すると誰かが部屋に入ってきて枕の横に放置したiPhoneを覗きこみながら、今度は男の子の声で「お~こんな書きかけのままで寝られるんだなぁ」と言うのが聴こえる。そのまま固まっていると、僕の胸の上に倒れこんできて、胸をポカポカと叩いてきた。結構なスピードに感心しているとそのままいなくなった。
完全に目が覚めてしまったので、起き上がって隣の部屋にある自販機へ飲み物を買いに行く。そのときにその部屋の床を歩きまわってみたのだけれど、さっき聞いたような大きな音で軋む床は無かった。うーん……。
寝ている間にこぼすと困るので飲みほして寝ようとすると、今度は外の方から誰かが咳をする音が聞こえた。そっちの方向は完全に道路しかないのだけれど…。
2:??
夢の中にさっきの男の子が出てきた。その男の子は布団の中に入ってこようとするのだけれど、なぜか夢の中の僕は恐怖心が無く、「せっかくだったら女の子がいいなぁ」とか言って押しだしてしまった。
続きは次の日の分で。なんか深夜部分、たしかに怖かったんだけれど、それ以上にここ数日で溜まりに溜まった疲労感が強くて、普段100怖がれるとしたら40ぐらいにしか怖がれずちょっと麻痺してた感があった。