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霊安日記

jf_nights の霊安草子。

おじいちゃんの誕生日

今日はおじいちゃんの誕生日ではありません。
ちなみにおじいちゃんは既に亡くなっています。



数年前の話……だと思ったけどかれこれ10年ぐらい前にもなるのかもしれない。
我が家では誰かの誕生日になると、その周辺の土日(土日に限らず、家族が全員家にいる日)の夜ご飯がちょっと豪華になり、ケーキ等も出てくる誕生日を祝う文化があります。これは現在も続いています。
その日は齢90いくつかの祖父の誕生日だった。夜ご飯がなんのメニューだったかは覚えていないが、メインキャラが祖父だったのでそこまでガツガツしたものではなかったはずだ。ようこんな年まで生きられたなぁ、と普段物静かな祖父がニコニコしながらひとりごちていた姿が印象的だった。
ご飯を食べていた時は問題はなかった。さて、当時は親が誕生日の人にプレゼントを用意しておき、食事を終える頃に渡す、というのが流れだった(これも現在続いています)。これまた中身がなんだったかは覚えていないが、父親が祖父にプレゼントの箱を渡し、祖父はありがとう~~~と受け取った。そこまでは我が家では年に数回ある、ありふれた、安心できる風景だった。しかし、そこからしばらくして状況は一転する。


「この(プレゼントが入ってた)箱どこに置いとこうかな」
「箱は捨てーな」
「えぇ、でも……」
「ちょっと見てくるわ」

父親は押し入れの様子を見に、祖父の部屋に入っていった。しかし帰ってこない。
しばらくすると怒声が聞こえてきた。

「$=)(%$(#"'$!!!!!モノが多すぎんねん!!!!!!!」

周囲のニンゲンがどういう表情になったかは分からないが、少なくとも僕は固まった。全身が動かない。

「なんで箱を捨てへんのや!!!!これも!!!!!これも!!!!!」

父親が文字通り怒り狂いながら、物置に入っていた空箱を投げ出していた。
祖父は(僕と同じく?)モノを捨てるのが下手だった。例えばそういったプレゼントの箱でも、入れ物は残しておけば何か使い道があるかもしれないという気持ちとともに、入れ物と中身はセットのような感覚があって、箱を捨てると中身まで捨てたような気持ちになり、とてもじゃないが捨てられない、といったような理由から、なかなか捨てられない。

父親は(これは今でも分からないが)なんの虫の居所が悪かったのか、祖父にも吼えていた。
「捨てろや!!!!多すぎんねん!!!!!!!」

僕は今でも祖父が静かに、そして悲しそうな面持ちで父親を見ているあの顔を覚えている。



とてもじゃないが、その後は悲惨だった。母親はなんとか父親を宥め、ケーキを出そうとするも、結局食べたのは次の日だった。
当時僕自身がいくつだったかはっきりと思い出せないが、中学生かそこらだったと思う。
その頃の僕は、その時自覚があったかどうか分からないが、今思えば父親の恐怖に生きていたから、何も言えず、ひたすら嵐が過ぎ去るのを待つだけだった。ただその時に一つ、これから先、この光景は忘れられないだろうという諦念感と、絶対にこれから先、父親のことをゆるさない――何をゆるし、ゆるさないのか説明できないが――という約束を心の底にひっそりと、固く誓った。祖父にあんな顔をさせたやつを、その場を完全にぶっ壊した存在を、ゆるすはずがない。



祖父は僕が浪人している途中に亡くなった。現役時代、京大に落ちた、と告げると、そうか、ちょっと足りひんかったか、でも来年は頼むで、ワシももうこんな年やしな、と笑顔で僕に言葉をかけてくれた。1年浪人して受かったものの、報告できなかったことが唯一の心残りでもある。




祖父の誕生日or命日とかでこの内容を書くなら分かるけど、なんでもない日に書くの、ちょっと頭おかしい感ありますね。冒頭にも書いたけど、なんか最近↑↑↑↑↑の光景がフラッシュバックというか結構な頻度で脳裏をよぎるので、ちょっと文章にしてみました。自分で言うのもなんだけど、めっちゃ辛いし吐き気がする。


ここまで読んだ人がもしいたら、全然ハッピーな内容じゃないし、後味最悪で誰も救われないし、本当に申し訳ない。
ヒトはなぜ文を書くのか、いや、時と場合によるけれども、何も得られない文を綴ることもたまにはいいんじゃないでしょうか。



次の記事は幸せな文を書きます。